世の中にはいろいろな人がいて、
いろいろな家庭で育つので、
全く同じ人間というのは存在しないんです。
必ずどこかは違っていて、
もちろん真逆の人もいて、
当然似ている人もいるのが当たり前です。
双子で同じように育ててきても別人なんですから。
7人子供がいて、7人とも性格違うので、
それが別の家庭となれば違って普通ですよね。
でね、学校という場所は
そういう全く違う人たちの集まりなんです。
まだ未成年の時にそういう自分とは違う人と
仲よくしたり、ちょっと苦手だなと思ったりしながら
成長していくというわけです。
結果的に似ている者同士で集まることは多くなると思います。
まさに類は友を呼ぶですね。
で、今日はそういう話をしたいのではなくて、
「違うことを受け入れろ」という話です。
物事は何でもとらえ方で変わります。
「受け入れろ」と言っても
すべてに共感しろという話ではありません。
ちょっと難しいですが、
違う意見を新しい視点というとらえ方をしてみてはどうだろうか。
自分とは違う意見を持っている人というのは、
物事を自分とは別の視点で見ているということなんです。
その視点が良いのか悪いのかは置いといて、
自分とは別の視点でとらえていることは確かです。
自分にはない視点を持っていると考えれば、
その違う意見がどうしてそこにたどり着いたのかを掘り下げていくと、
今まで自分になかった視点でものを見ることができるかもしれません。
もちろん、よくない視点だと思った時には
それを受け入れてはいけません。
例えば、
気に入らないことがあったからその気に入らないものを破壊するとかね。
あいつが嫌いだからいやがらせしてやろうとかね。
人を陥れるような視点はあってはならないので、
そこは受け入れなければいいと思います。
では例えば、
「漢字の覚え方」
これで考えてみましょうか。
よく聞くのは
「何回も書いて覚えなさい」
ですよね。
僕がいつも言っているのは、
「何回も書くのは小学校低学年まで、そのあとは漢字をよく見なさい」
と言っています。
実際この方が覚えやすいんですが、
書くという労力がかかっていると勉強している感覚になって好きなんでしょうね。
終わった後にノートいっぱいの漢字が残り形にもなるから
やらせたい人も多いんでしょうよ。
でもそれ、頭に入ってないですよ。
教室にいる子には原理を教えます。
こういう意見の違いを
掘り下げて考えてみるんです。
なぜたくさん書くよりも見た方が覚えられるのか。
なぜ小学校低学年を過ぎてからなのか。
なぜ小学校低学年は書いて覚えないといけないのか。
なぜ昔は書いて覚えろと言われたのに今は変わったのか。
そうやって違う意見に対して考えてみるんです。
そうするとその意見の視点になって物事を考えるきっかけになります。
だから視野が広がるんです。
良いと言われるものには良いと言われる理由がある。
その良いと言われる理由を追究して、
自分の視点へと昇華させる。
理由を追究した結果、
納得できないものは取り入れなければいい。
ただ、自分のわがままで取り入れないのは間違っている。
あいつ嫌いだからあいつの言っていることは無視。とかね。
あいつ好きだから間違ってるとは思うけど共感する。とかもね。
嫌いな奴だろうと、好きな奴だろうと、
良いことを言っているときはそれを良いと言えるようにしないと。
悪いことを言っているときはそれはだめだと言えるようにしないと。
でね、学習塾っていう場所は、
そこに通う生徒の成績を何としてでも上げようとしている場所なわけです。
その人たちが言っていることは
そこに通う生徒たちにとってマイナスにはならないはずなんです。
たまにマイナスな塾もあるけど。。。
だからその視点でちゃんと考えられるようにならないと。
判断力を身に付けないと。
自分と違う意見と出会うことがあったら、
ラッキーなんです。
その違う意見の視点で物事を考えて、
自分にはなかったものを手に入れるチャンスです。
掘り下げて別の視点で考えてみましょうね。
そうすれば自分の視野が広がり、
新しい何かを発見できるかもしれません。
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