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3/24は草加市立歴史民俗資料館を紹介しました。
草加市の紹介2
本日は草加宿のシンボル、
草加松原札場河岸公園(ふだばかしこうえん)の紹介です。
元々は松尾芭蕉が宿泊した場所として有名な草加宿。
そこに流れる綾瀬川の河岸にはたくさんの松が植えられていることから
松原と名付けられています。
当時の様子がこちららしいです。
芭蕉が訪れたころの草加宿は、
戸数120軒ほどの小規模な宿場町でした。
慶長11年(1606年)、宿篠葉村の大川図書が中心となり、
茅野を開き沼を埋め立て、
それまで大きく東に迂回していた奥州街道をまっすぐにする新道を開いたといわれています。
その後、直線となった千住・越ヶ谷間に宿駅を設けることが幕府によって命じられ、
寛永7年(1630年)に付近の村々によって草加宿が設置されました。
開宿当時は戸数84戸、
旅籠屋(旅館)が5から6軒、
他の店舗は豆腐屋、塩・油屋、湯屋(銭湯)、髪結床(床屋)、団子屋、餅屋が1軒ずつ軒を並べる程度で、
あとはすべて農家だったそうです。
天保14年(1843年)の調査によると草加宿は戸数723戸、
人口3619人と南北12町(1.3キロメートル)にわたって家屋が軒を接し、
本陣・脇本陣各1軒、旅籠屋は67軒まで増加しました。
城下町を除くと、
日光街道では千住、越ヶ谷、幸手に次ぐ規模で、
周辺の交通の要衝として栄えました。
「もし生きて帰らばと、定めなき頼みの末をかけ、その日やうやう早加(草加)といふ宿にたどり着きにけり」
草加に着いたときの芭蕉の言葉です。
また草加松原には川を見渡すための
「望楼」がそびえたっています。
高さ11メートルあるそうです。
いつでも中に入れるようになっていて、
内部を登ることができます。
中から見ると何とも不思議な感じですね。
松尾芭蕉の象の近くにあります。
一度草加に来た時は見てみてください。
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