受け身であること

授業が多いとなぜ成績が伸びないのか。

 

授業が多いとなぜ本質的な学力が上がらないのか。

 

それは全て受動的だからです。

 

授業が学校のように集団授業だろうと、

 

授業が塾のように個別指導だろうと、

 

「授業」と名のつくものは大体が受け身です。

 

先生が生徒に対して発信し続けることは何をどう見ても受け身にしかなりません。

 

しかし「大体」としたことにも理由があります。

 

自発的な授業も可能だからです。

 

その自発的な授業にする方法の一つが、

 

生徒が自ら進んで受けに行くことです。

 

だから栄進研は毎日来なさいとは言いません。

 

毎日使えますとは言います。

 

来るかどうかは自由です。

 

当然毎日来ている生徒の方が成績の伸びは良いというのは言うまでもありません。

 

ただ、無理やり毎日来させたところで、

 

それが成績アップにつながるかというとそうではないからです。

 

それこそ受け身だからです。

 

そこにまず1つ目の自発があります。

 

 

 

そして栄進研にはもう時間を定めた授業がありません。

 

全て生徒が自分で質問に来ないと指導が始まらなくなっています。

 

これが自発の2つ目。

 

授業のスタートがもはや受け身ではない。

 

自分が知りたいこと、自分がわからないことを、

 

自分のタイミングで自分の口で質問することで個別の指導が始まります。

 

全て生徒本人の行動からスタートします。

 

 

 

さらに言うと、質問の対応時は完全に1対1です。

 

そこで生徒に発言させるわけです。

 

ここでは詳しくは書きませんが、

 

それが3つ目の自発です。

 

1対1なので、その生徒に今まで何を教えてきたかも知っているわけですから、

 

そこで会話が生まれるわけです。

 

そして会話というだけあって、生徒も発言をする。

 

今までにやってきたことを思い出しながら話すことができる。

 

記憶を呼び覚ますことができるわけです。

 

こうすると授業も自発的に変えることができます。

 

実はもっと自発的に変えることもできるのですが、

 

それはまだ先の話です。

 

全てが自発的だと賢い生徒しかついて来れません。

 

別にそうしたいわけでもありません。

 

しかし自分で質問をするという仕組みにすると、

 

賢い生徒もまだそこに届かない生徒も自発的には取り組めるようになる。

 

まずは受け身の体質から自発の体質に変化させていかなければ。

 

最初から自発的な勉強などできません。

 

 

 

ここまで自発的に行動することについて話してきました。

 

では受け身がなぜいけないのかという話です。

 

「指示待ち人間になるから」です。

 

今まで何人か見てきました。

 

ひどい子は指示がないと鉛筆すら持ちません。

 

以前、一度「うちの子に指示してくれないから英語しかやってこない」と怒っている人もいました。

 

自分で何も考えないですぐに「わかんない」という子もいました。

 

そういう人たちは、「指示をくれたら」できると思っているんだと思いますし、

 

「教えてくれたら」できると思っていることでしょう。

 

しかしそれではできないんです。

 

何もわかってないんです。

 

テストってどういうものかご存じですか?

 

勉強中にやっていた時と全く同じ問題は出ないんです。

 

たまにめんどくさいと思っている先生がワークから切り貼りしたりしますが、

 

ほとんどの場合は出ませんし、

 

入試なんて絶対に出ません。

 

だから必要なことは、

 

勉強したことを自分の頭の中でそのテスト用に変化させることなんです。

 

知識を応用させないとテストは解けません。

 

 

 

では、その完全受け身体の指示がないと英語しかやらない生徒は

 

その知識の転用ができるのでしょうか?

 

すぐに分かんないという生徒は知識を応用させることができるんでしょうか?

 

 

 

答えは明白で、できるわけがない。

 

だから受け身からの脱却をしなければいけない。

 

この受け身からの脱却が非常に難しい。

 

なぜなら小さいころからそうやって受け身で生きてきているからです。

 

おそらくそこから抜けるには親元を離れるしかないと思います。

 

どう考えても完全に受け身の生徒は親の影響ですから。

 

親がすぐに手を貸す状態だから受け身になるんです。

 

自分でやらせて失敗させてそれでも手を出さずに見守る忍耐があれば大丈夫です。

 

小さいころから転んだら立たせてあげて、

 

自転車もずっと後ろを持ってあげて、

 

洗濯は全自動で、たたんでタンスに入っていて、

 

食事もいつもおなかすいたと言わなくてもそのころに出てくる。

 

勉強も親が勝手に申し込んだ進研ゼミとかがやってくる。

 

あれこれやりなさいと自分の意志とは関係なくやるべきものがいつも目の前にある。

 

素晴らしいむごい教育です。

 

なにも自分でできないし、なにも自分で考えられなくなります。

 

だから受け身の子供が出来上がる。

 

悪い部分だけを言うとその最たるものが「公文」です。

 

公文式についてはまた別の機会に話しますが、

 

受け身のエキスパートみたいな生徒ができる可能性が高くなります。

 

特に中学まで通っている子はそうです。

 

公文は小学3年生までの計算の基礎を身に付けるにはとても良いと思います。

 

それ以降はその基礎知識を使って頭を使う練習しないと。

 

だから良いところは大きいんです。

 

公文式が悪いとは言いません。

 

良いものです。

 

ただ、小3までですね。

 

そうやって小さい頃は受け身でしか生きていけないので良いのですが、

 

徐々に自発的に切り替えていかないと。

 

だから栄進研はすべてを自発的に切り替えたということです。

 

あまりに受け身が多くて。

 

これからも自発的に勉強できる仕組みをベースに考えます。

 

最終目標は大学受験なんですから、

 

自発的に動けないと話になりません。

 

当然、社会に出てからも自発的な人の方が大成します。

 

そう考えれば、自発的に行動できるようにすべきでしょう。

 

それはいわずもがな皆さんもわかっているはずです。

 

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