なぜ作文を書くのか

皆さんが日本にいる限り、

 

避けて通れないのが日本語で人と話すことです。

 

もちろん当然ですよね。

 

日本人がほとんどなんですから。

 

仕事をするにしても、

 

友達と遊ぶにしても、

 

恋人を作るにしても、

 

子供を育てるにしても、

 

必ず必要になるのは日本語での会話です。

 

相手が日本人の場合はね。

 

自分の発した言葉を相手が理解し、

 

そのあとに行動するわけです。

 

要するに言葉がなければ物事を伝えられないわけです。

 

例えば「自動車」を説明するにしても、

 

見れば早いですが、そこにない場合は言葉で説明しなければいけません。

 

ということは物事を理解するためにも

 

言葉は必要ということになります。

 

ちょっと国語のテキストに出てきそうなことを話していますが、

 

事実として、「言葉」がなければ

 

自分の意思を表示することもできないし、

 

何かを説明することもできないし、

 

何かを理解することもできないし、

 

果てには人とコミュニケーションも取れないわけです。

 

その生活のど真ん中に位置する言葉の使い方を

 

しっかりと勉強することによって

 

より生活しやすくなっていくことになります。

 

自分の意見を人に納得してもらうことができれば

 

全て自分の思いのままです。

 

やりたいと思うことを論理的に話して、

 

その協力を得なければいけない人々が賛同してくれれば

 

そのやりたいことは実現できます。

 

そこで問題になってくるのが、

 

やはり日本語の能力なわけです。

 

作文というのは限られた文字数の中で自分の主張をまとめるものです。

 

極端な話をすると、法的に許されないことであっても、

 

作文のテーマとして取り扱うことはできてしまいます。

 

殺人をすることは良いことか、悪いことか、

 

そんなテーマも出そうと思えば出せますし、

 

殺人をすることは良いことであるという視点で作文を書くこともできます。

 

その場合、殺人という明らかに悪であるものを

 

いかに正当化するかが課題になります。

 

それを読んだ人に、「確かにね」と思わせることができれば

 

作文としては評価が高いわけです。

 

これは一つの例として書いたので、

 

作文のテーマとして出す気はありませんけども。

 

ディベート会もその日本語の力を鍛える一環です。

 

自分の意見を論理的に話して、

 

周りの人を説得する能力が身に付きます。

 

作文の場合はそれが字となってのころところに価値があります。

 

自分が書いた文章がおかしいのだと訂正されるので、

 

今まで気づかなかった言い回しや、

 

おかしな日本語に気づくことができます。

 

実際に添削していると

 

やっぱりねという感じになります。

 

だから作文の添削をするんです。

 

添削の労力は半端ないので3年生だけやっています。

 

ほかの学年はそもそも手帳を書くので

 

それでチェックしています。

 

それでも自分で作文をやりたいという2年生がいたので、

 

その生徒の作文は添削していますけどね。

 

こういう自発的に作文をやりたいという気持ち、良いですよね。

 

だから手帳のコメント欄はしっかりと書くこと。

 

漢字を使う事。

 

使えるものはちゃんと活用すること!

 

しばらくたった後にその効果を実感できます。

 

しかも気づかないうちにね。

 

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