無知というのは幸せなことかもしれない。
自分がつらい立場になることにも気づかず、
自分が馬鹿にされていることにも気づかず、
自分が相手にされていないことにも気づかず、
自分がもうこれ以上大成しないことにも気づかず、
自分がその日暮らしなことにも気づかず、
自分が無能であることにも気づかず、
自分があしらわれていることにも気づかず、
自分が使えない存在認定されていることにも気づかず、
そうやって何も「気づかない」まま、
幸せに人生を終えていく。
気づかないというのは幸せなことなのかもしれない。
物事を知ると、
自分の小ささに気づく。
自分の無能さに気づく。
自分の努力が足りないことに気づく。
自分の選択が間違っていることに気づく。
自分の足りない能力に気づく。
何かを見て、何かを聞いて、何かを読んで、
そうやって「気づき」を自分から得るというのは、
知識の入り口に立つという事だ。
言われてもわからず、
見てもわからず、
読んでもわからず、
そうやって無知を突き進むこと、
そうやって努力をしない選択をすること、
それもまた気づかないことの結果である。
幸せだな。
知らないというのは。
これが自分に言われているという事すらも
「気づかない」のだから。
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